トルコ第2の都市、又、第一次世界大戦後の祖国解放戦争の心臓部であったアンカラは現在人口約340万人のトルコ共和国の首都です。アンカラの歴史は古く古代にまで遡ることが発掘調査などでわかっていますが、正確にはいつ頃から人々がこの地に住み始めたのかははっきりしていません。
しかし、ヒッタイト時代にはすでに王国が築かれていたこと、その後フィリギア、キンメル、ペルス、リディア、マケドニア、ガラティア、ローマ、セルジュクと各時代の舞台となってきたことは調査から明らかです。都市の名前もアンキュラ、アンゴラ、エンギュル、アンカラと変化してきたものと推測されます。1073年にイスラム教徒のセルジュク朝に占領されてからはアンカラと呼ばれ、1356年にオスマン朝の帝国領となりました。20世紀初頭の1919年においても人口2万5000人ほどの小都市でした。
その後トルコ共和国建国の父ムスタファ・ケマルが1922年にイスタンブールにあったオスマントルコ帝国のスルタンを廃してトルコ国家の単独政府を宣言し、1923年に共和制を宣言してアンカラを首都とする現在のトルコ共和国が樹立されました。首都となってから急速な発展を遂げトルコ第2の都市になりました。
アタトュルク廟(アヌトゥ・カビル)
第一次世界大戦後、占領下の元独立戦争を指揮し共和国を樹立し、建国の父として今でもトルコ国民に愛されているムスタファ・ケマル・アタトュルクを葬るために1944年から1953年に建てられた霊廟です。
中には博物館があり、アタトュルクの像、をはじめ自筆の書簡、愛用品、又、彼の生涯と共和国誕生の場面を写した写真などが展示してあります。
アナトリア文明博物館
もともとはキャラバンサライ(隊商宿)であった建物を博物館に改造したものです。旧石器、新石器、青銅器、アッシリア、ヒッタイト、フィリギア、ウラルトゥ、ギリシャ・ローマと各時代の貴重な出土品が展示されています。
特にヒッタイト時代のコレクションでは世界的にも知られています。
アンカラ城
アンカラ全市を見下ろす丘の上に残るこの城は、ガラティア人が建設を始めローマ人が完成させたものです。城壁は2重になっており、内側、外側それぞれビザンチン帝国の異なる時代に外敵の侵入を防ぐ目的で造られたものです。その後セルジュク朝に入ってからも修復、増築が行われました。
























