エフェス古代都市の歴史は古く紀元前6000年に遡ると言われています。最近の発掘調査によるとエフェス近郊のアヤスルックの丘にはヒッタイト人の町が見つかっています。その頃の町の名前はアパサスでした。
その後紀元前11世紀にはギリシャからやって来たイオニア人がデルフィの信託に従いアルテミス神殿を中心とした街を建設しました。その後肥沃な大地とエーゲ海沿いに開けた天然の良港という地の利をきかせ交易で発展した都市国家として大変重要な位置を占めるようになりました。アルテミス神殿は建設期間約120年、高さ19m、直径1.2mの円柱を127本からなり、当時世界の七不思議のひとつでした。(今現在は1本の円柱が残っているだけです。)
紀元前287年リシマコスの治世の時に港が土砂で埋まりマラリアが蔓延したため現在のエフェスに遷都しました。紀元前2世紀にローマ帝国の属領となりアウグストス帝の時代にはアジア領の首都として栄えました。
また、聖母マリアと12使徒のひとりヨハネがこの地で晩年を過ごしたということでキリスト教徒にとっても大変重要な町です。
エフェス考古学博物館
トルコ有数のレベルを誇る考古学博物館は主にエフェスやその周辺で発掘された2万5000点のコレクションを所蔵しており、発掘された場所によって6つの部屋に分けられ約1000点が展示されています。
聖ヨハネ教会
エルサレムを追われたイエス・キリストの12使徒のひとりヨハネは、聖母マリアと共にエフェスヘ伝道に来てこの地で晩年を過ごし、アヤスルクの丘に埋葬されたと言われています。
その上に建てられた小さな礼拝堂を紀元6世紀にユスティニアヌス帝が教会に建て替え、14世紀にはモスクとして使われていたとの記録が残っています。
聖母マリアの家
聖母マリアはイエスの死後聖ヨハネと共にエフェスに移り住み、余生を送ったと言われています。
しかし、マリアの最期の場所は長い間謎とされていました。その後19世紀に天啓を受けたカテリーナという修道女が訪れたことがないにもかかわらずエフェスの石造りの家の様子を語り出しそれを記録に残しました。その後その記録をもとにイズミールの司教が、エフェス遺跡から約7km離れたブルブル山中のこの場所を突き止めました。その後小さな教会が建てられ、現在ではキリスト教徒の聖地のひとつとなっています。
アルテミス神殿跡
かつては世界の七不思議の一つと言われたこの神殿は、ストラポンによれば7回破壊され7回再建されたと言います。最盛期にはアテネのパルテノン神殿よりも大きかったと言われます。ゴート族の攻撃に遭い破壊された後は再建されること無く放置されていましたが、6世紀にはモスクや教会建設のため石材が運び出され現在は1本の円柱が残っているのみです。イスタンブールのアヤソフィアにもここの石材が一部使われています。
イーサベイ・ジャミィ
セルジュク朝とオスマン朝の2つの建築様式の過渡期にあたる1375年にディミシュクリ・アリによって建設されました。
アルテミス神殿の石材が1部に使われています。
シリンジェ村
美しい昔ながらの町並みが残るこの村は、ギリシャとの戦争以前はギリシャ人が住んでいましたが、住民交換が行われその後ギリシャに住んでいたトルコ人が住むようになりました。第2のサフランボルとも言われています。
エフェス遺跡
紀元前287年リシマコスの治世の時に遷都されその後ローマ帝国有数の都市として繁栄しました。
数々の芸術もこの地で生まれ、又、クレオパトラがローマのアントニウスを助けるために上陸し束の間の時を過ごしたとの伝説も残っており、地中海文明の中でも重要な遺跡です。
主な見所
ヴァリウスの浴場 国営アゴラオデオン ドミティアヌス神殿 メミウスの碑 ヘラクレスの門 プリタネイオンポリオの泉
トラヤヌスの泉 スコラスティカの浴場 ハドリアヌス神殿 公衆トイレ 娼館 丘の上の住宅 クレテス通り
ケルスス図書館 マーブル通り
























