イスタンブールは、人口、面積、経済、商業、資本、文化面において、トルコ最大の都市です。
2000年のイスタンブールの人口は約880万人。アジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがって位置し、二つの大橋によってつながれており、その中心を貫くボスポラス海峡は、黒海、マルマラ海、そして金角湾に注ぎ込んでいます。
イスタンブールは、かつてローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国という3代続いた大帝国の首都でした。8000年の過去の蓄積をもつ歴史的舞台であり、博物館、宮殿、城壁、海沿いの邸宅、豊かな自然を有し、信仰の中心地でもあるイスタンブールは、誰もが満足する寛容と融合の町です。
「帝都」イスタンブールは、紀元前658年にメガラ人によって造られ、司令官ビザスの名前をとって「ビザンティウム」と名づけられたのが由来です。
エユップスルタンモスク 
コンスタンチノープルを(ビサンス帝国時代の帝都名で、オスマン朝以降から現在に至る地名がイスタンブール。)陥落させたメフメット2世により、1459年に建てられました。
オスマン朝時代、新しいスルタンが即位するときに、ここで聖剣の授与が行われたという由緒正しいモスクです。周辺にはオスマン朝時代の著名な宰相たちの墓も多くあります。また、674~678年の聖戦で殉死した、イスラム教の預言者ムハンマドの弟子アイユーブ・アル・アンサーリー(トルコ語でエユップ)が祀られていて、イスラム教信者にとっては重要な地ともなっています。門前の商店街には、イスラム教関連グッツのお土産が豊富に販売されていて、見ているだけで少し変わった異文化見学ができます。
テオドシウスの城壁 
テオドシウスの城壁は、イスタンブールの旧市街をすっぽり覆うように作られた城壁です。ビサンス時代には、メフメット2世率いるオスマン朝がコンスタンチノープルへ攻め込んだ時でさえ、完全にはくづしきれなかったほどの鉄壁の防御を誇ったとされます。
カドキョイ 
イスタンブールのアジア側での商業、ビジネスの中心地。若者に人気の町でもあるおしゃれスポットでもあります。カドキョイはアジア大陸の本の入り口で、ここから先へ広大なトルコの台地・アナドルが広がっています。イスタンブールのアジア側もウスキュダルやカドキョイから、奥にずっと広がってゆきます。
イェニ モスク 
ガラタ橋の袂にあります。1598年にムラト3世の妻によって建設が開始され、工事中断や火災などによる苦難を乗り越え、1963年メフメット4世の時代に完成しました。建築家はダウード・アーです。モスクの中のタイルは、特に素晴らしくイスタンブールにあるモスクの中で1、2を争そう程で見ごたえ十分です。しかし、このモスクは人通りの多い便利な場所にありますが、イスラム教信者の方の信仰の場で厳粛な雰囲気に包まれています。観光の方は見学時は、信者の方へ十分な配慮を何卒お願い致します。
ORTAKOY CAMII(オルタキョイ・ジャーミィ)
ボスポラス海峡に面して建つモスクで、バロック形式の優美な姿が印象的です。モスクの中の大きなステンドグラスは、ボスポラス海峡側から採光ができるように設計されています。モスク周辺はおしゃれなスポットとなっていますが、モスク自体も見学は可能です。しかし、敬虔なイスラム教徒信者の方々が礼拝に多く利用されています。
モスク内では静粛にし、女性はスカーフの着用、また男女共に、ミニスカート、半パン、ノースリーブなどの露出のある服装はお控えてください。礼拝時間は、礼拝目的以外の方は入場はできません。
ORTAKOY(オルタキョイ)
オルタキョイは、ボスポラス大橋の袂にあるオルタキョイ・ジャーミーのある一角で、イスタンブールのおしゃれな地元っ子に大変人気がある場所です。カフェもたくさんあり、ボスポラス海峡を見ながらカフェでのんびり過ごせます。手作りアクセサリーの露店や商店もたくさんあります。クンピル(大きなベイクドポテトに具が入ったトルコ発のファーストフード)やクレープを食べる観光客やトルコ人でいつも大変にぎわっています。
ISTIKLAL STREET(イスティカル通り)
新市街の高台にあるタクシム広場から南へ下る道の一つです。このエリアはイスタンブールの中でもハイセンスな地区として有名で、おしゃれな地元っ子はもとより、トルコ人や世界の観光客で朝から晩まで大変にぎわっている地区です。通りには、飲食店、ブティック、本屋、CDショップ、土産物屋など一通りの店があり、お買い物や散策にはもってこいの場所です。
PIER LOTI HILL(ピエール・ロッティの丘)
19世紀末に活躍したフランス人作家のピエール・ロッティは、世界各国を回った中でもイスタンブールをこよなく愛しました。彼は、この丘にある喫茶店に通っては、ここからの素晴らしい景色を見ながら小説を書いていたそうです。
ユルドゥズ宮殿
ドルマバフチェ宮殿の北にあり、世界中のあらゆる場所から集められた花々と多くの樹の茂る広大な庭園の中にある宮殿で1850年にスルタン・アブデュルハミトにより建てられられました。
トプカプ宮殿
ボスポラス海峡、金角湾とマルマラ海の出会うところに、トプカプ宮殿があります。オスマン帝国の400年間において政治の中心にあり、現在博物館になっているトプカプ宮殿の世界的に有名な作品や聖なる遺産は、多様な宗教や文化をもつ世界中の人々の注目を集めています。
トプカプ宮殿は様々な建物が迷路のようにつながっていて、豪奢を極めた宮殿の中で、スルタンと家来たちは生活し、統治していました。宮殿の外側、第一庭園と呼ばれるところは、樹木の生い茂る見事な庭園です。第二庭園の右側、糸杉とプラタナスの木陰になる場所はかつての宮廷の調理棟で、現在は帝国のクリスタル、銀、中国陶磁器のコレクションの展示館となっています。左側は、スルタンの多くの妻たち、そしてその子供たちが暮らした部屋が残るハーレムです。第三庭園の南側には宝物館があり、世界最大のエメラルド、トプカプの短剣、86カラットのダイヤを49個のダイヤで取り囲んだスプーン屋のダイヤモンドなどもここで展示されています。
イスタンブール歴史地区(旧市街/スルタンアフメット地区)
マルマラ海と金角湾に挟まれたこの歴史的な半島は、ローマ、ビザンチン、オスマン帝国の首都として、その時代の多くの芸術作品を所有する野外博物館のようなところです。ユネスコの世界遺産にも登録されています。
アヤソフィア博物館
コンスタンティヌス大帝によって、4世紀にバジリカとして建設されたアヤソフィア博物館は、ビザンチン時代の最高傑作である。高さ55m、幅31mのドームをもち、ローマのサン・ピュトロ、ロンドンのセント・ポール、ミラノのドゥオモ(大聖堂)の次に大きく、年代的には一番古い大聖堂である。1453年にコンスタンティノープル陥落後ジャーミィに変えられ、内部のモザイクも漆喰で塗りつぶされていた。その後20世紀に調査隊により壁の中のモザイクが発見され、翌年トルコ共和国建国の父アタトュルクにより博物館として一般公開されるようになりました。
スルタンアフメット・ジャーミィ(通称ブルーモスク)
アヤ・ソフィア寺院と向かいあうように建っているのが、スルタンアフメット・ジャーミィです。スルタンアフメット1世の命を受け1609年~1616年にオスマン時代の有名な建築家ミマール・シナンの弟子のメフメットによって建てられたこのジャーミィは、内部の壁が美しい青と白のイズニックタイルで飾られていることから、ブルーモスクという名で広く知られています。高さ43m、直径27.5mの大ドームと4つの副ドーム、30の小ドームと6本のミナーレ(尖塔)からなります。6本のミナーレを持つジャーミィは世界でも珍しいものです。
地下宮殿(イェレバタン・サルヌジュ)
トルコ語の意味で地下に沈んだ貯水池と言い、ビザンツからオスマン朝時代にかけ周辺地域の主要な水瓶として使われていました。全体は縦140m,横70m,高さ8mほどで、コリント様式の柱で支えられており、宮殿の一番奥には見たものを石にしてしまうという伝説のメドゥーサの顔の彫刻があります。
国立考古学博物館
トプカプ宮殿の第一庭園を左に行くと石畳の坂道があり、下ったところにあります。
オスマン朝時代に発掘されたものの多くは英・仏に持ち去られそれぞれの博物館に展示されてはいるものの、ギリシア・ローマ時代のコレクションは世界的にも評価が高く、あの名高いアレクサンダー大王の石棺も含まれています。古代オリエント博物館には、シュメール、バビロニア、アッシリア、ハッティ、ヒッタイト文明の遺物が展示されています。
ヒッポドローム
スルタンアフメット・ジャーミィの西側にあるローマ時代の大競技場跡。
現在は異なる時代の異なる地域から運ばれてきた3本のオベリスクが建っています。
ドルマバフチェ宮殿
スルタン・アブドゥルアジズの命令により10年以上の歳月をかけ建設されたドルマバフチェ宮殿は、ボスポラス海峡のヨーロッパ側の岸に沿って、海峡側を正面にして建てられた全長600メートルの宮殿です。56本の円柱と、750個のキャンドルがついた4.5トンの重さの巨大なクリスタルシャンデリアのある広大なレセプション・サロンは目を見張るほど豪勢です。オスマン朝後期の6人のスルタン、トルコ共和国建国の父であるアタチュルクにより官邸として使われ彼は、1938年11月10日にこの宮殿で永眠し、今でも彼の執務室の時計は亡くなった時刻である09:05を指しています。
ベイラルベイ宮殿
ボスポラス大橋のアジア側のたもとにあり、19世紀にスルタン・アブドゥルアズィスにより建てられました。ここはスルタンの夏の離宮として使われ、外国からの賓客が訪れたときにも滞在先として使われました。
軍事博物館
収蔵品の数からも世界有数の規模を誇る博物館です。オスマン・トルコ軍が実践で使用したテント、武器、戦闘用装備、庭には大砲も展示されています。毎日オスマン時代の軍楽隊(メフテル・タクム)の演奏が午後3時から4時の間に聴くことが出来ます。
カーリエ博物館
もともとはコーラ修道院として建てられましたが、オスマン朝時代にアヤ・ソフィア同様イスラムのジャミィとして使われ、13~14世紀に描かれたモザイク画は漆喰で塗りつぶされていましたが、20世紀に発見されました。その後修復され現在50点以上のモザイク画が展示されています。
スレイマニエ・ジャーミィ
オスマン帝国の最盛期の君主スレイマンが、トルコの偉大な建築家ミーマル・シナンに建てさせたジャーミィです。1557年に完成しました。金角湾を見下ろす高台に位置し、当時の最高技術を駆使して作られた大ドームもさることながら、内部の装飾も大変美しく、また、音響効果にも定評がある。敷地内にはシナン設計のスレイマンとその妻の霊廟とシナン自身の霊廟もあります。
グランドバザール
15世紀半ばにメフメット2世により建てられた市場が時を経て拡大し中東最大とも言われる今の規模のグランドバザールになりました。そのグランドバザール内の店舗数は約4400とも言われています。トルコ語ではカパル・チャルシと言い屋根つきの市場という意味です。
エジプシャンバザール
もともとこの市場がエジプトからの貢物を集め設営されたことからこの名前で呼ばれています。グランドバザールと違い、別名スパイスバザールとも呼ばれ、その名の通り香辛料をはじめ食料品を扱う店舗が多く、庶民的な市場です。
ヴァレンス水道橋(ボズドアン・ケメリ)
ヴァレンス帝時代の378年に造られ、オスマン朝時代までイスタンブール近郊のベオグラードの森から地下宮殿そして、スルタンの生活する宮殿内に水を供給してきた水道橋です。現在は旧市街を通る主要道路を跨ぐ様な格好で建っており、水道橋としては使われていません。
ガラタ橋
旧市街と新市街の間、金角湾にかかる橋で、1845年に木製の橋が初代。その後1912年に跳ね橋、1992年に現在のものになりました。2階建ての橋で1階にはレストランやカフェ、商店が入っています。橋の上には常に釣り人で賑わっています。
ガラタ塔
14世紀にジェノヴァ人がビザンツ帝国を監視するために建てた塔で、時代の変化と共に牢獄として、又は天文台などとしても利用されてきた高さ67mの塔です。現在はエレベーターが設置され地上53mのテラスからイスタンブールの街を見渡すことが出来ます。最上階にはレストランやナイトクラブがあります。
ルメリ・ヒサ-ル
ルメリ・ヒサ-ルは1452年にメフメット2世がコンスタンティノープル戦に備えて僅か4ヶ月で築かせた要塞です。ボスボラス海峡の対岸にあるアナドル・ヒサ-ルと対峙して建設され、海上封鎖をしビザンチン軍の船を撃退しました。
チャムルジャの丘
アジア側にあるイスタンブールで一番標高の高い場所です。頂上は公園になっており、イスタンブールを360度見渡すことができます。周辺にはテレビ塔が建てられています。また、結婚式をこの丘で挙げるカップルが多いことでも知られています。
ボスポラスクルーズ
イスタンブールをヨーロッパ側とアジア側に分断するボスポラス海峡をめぐる船旅です。金角湾に架かるガラタ橋の袂から出発しボスポラス海峡を北上しボスボラス海峡にかかる第2大橋まで行き元に戻ります。
陸路からは訪れにくいルメリ・ヒサル(メフメット2世が1453年コンスタンティノープル戦に備えて僅か4ヶ月で造り上げたヨーロッパ側にある要塞)やアナドル・ヒサル(バヤジット1世により1390年頃造られたルメリ・ヒサルの対岸、アジア側にある要塞)をはじめ、現在高級ホテルとして使われているチュラ-ン宮殿、ヤルと呼ばれる木造の家屋、又、イスタンブールっ子に人気のナイトクラブ、高級住宅街、ヨットハーバーなどイスタンブールの過去と現在を交通渋滞などの喧騒を離れ
一味違ったイスタンブールをのんびりと眺めることが出来ます。
























